「パティシエールである店主」と、あえて言おうと思っています。
カフェ=ランチ、というイメージを持たれる方が少なからずいらっしゃると思うのですが、
「あまいもの、食べに行こう」と足を運んでいただきたいのです。
限られた時間、人生の時間を、これからもお菓子を届けるために費やしてゆきたいのです。
これまでのわたしのことを少しお話させください。
18-20歳
パティシエになるべく、美瑛を離れ札幌「光塩学園調理製菓専門学校」へ進学。
この頃、友人からは旧姓にちなんで"トリコ"と呼ばれていましたが、誰が言い出したのか。もはや曖昧な記憶です。しかしのちのお菓子教室、そしてカフェの店名になりました。
20-24歳
札幌市清田区「DOLCE VITA」に就職し、3年間勤めました。
同店のお菓子は、美味しそう!が直球で伝わってくる、それでいて可愛くて・・・店内も素敵で、当時のわたしの憧れがぎゅっと詰まっていました。
いざ働いてみると新人のわたしには仕事量がとてつもなく、頭の中はいつもいっぱいでした。失敗も多々。シェフにガッツリ怒られ、夜の掃除の時間まで涙が止まらなかったことも。
石の上にも・・・の思いで耐えた3年だったように思いますが、自分が携わったものを喜んで求めてくださるお客様がいらっしゃることは本当に嬉しいもので、開店時に焼き立てを間に合わせることに必死になるわたしがいました。
安孫子シェフの作り出すお菓子とパンのお店がお客様に愛されていたからこそ体感できたことです。この幸せな記憶なしにはお菓子作りを生業にし続けることはできなかったと思っています。
24-25歳
気持ちを入れ替えたくなり、アパレル雑貨の販売に1年と半年間就きました。
あまりおしゃれな店員さんにはなれなかったけれど、季節を感じながら装いを楽しむって素敵なことだなと思いました。
25-30歳
やっぱりわたしは厨房に立っていたいと思い直し、札幌市厚別区「シェラトンホテル札幌」(現・ホテルエミシア札幌)に就職しました。
ホテルの製菓部門では、ショップで販売されるお菓子のほか、レストランのデザートや宴会・ウエディング等館内ほとんどのデザートを担当します。2000台のクリスマスケーキに携わったことも良い経験でした。
密かな楽しみは考案を任されたお菓子を試作する時間。この頃、お菓子教室というビジョンが芽生え、ひとりきりの居残り中、妄想は膨らむばかり。
お菓子教室を開きたい、この思いを打ち明けたところ、札幌市中島公園「Patisserie Chocolatier Bon Vivant」久保シェフがご厚意で定休日にお店の厨房を貸して下さり、一歩踏み出すことが出来ました。お菓子教室『Toriko's Kitchen』のはじまりです。
向いていると思う、やってみたら良いと後押ししてくれたホテルの上司、霜鳥シェフ(現・江別市「ら・じゅゆな」オーナー)にも感謝しています。
30-32歳
ホテルを退社し、個人事業主となりました。
札幌市行啓通「一級建築士事務所ティーサイズ」塚本さんが、事務所内の素敵なカウンターキッチンの一角を間借りさせて下さり、365日お菓子教室を開くことが可能になりました。
お店に並ぶようなお菓子が出来上がる特別な体験を、少人数制のリラックスした空気の中で楽しんでいただくことを目指すお菓子教室『Toriko's Kitchen』。
テーマは、美味しくてきれい、な、"よそゆきSWEETS"です。
初期の開催時からの生徒さんを含め沢山の方にご参加いただき、お菓子を囲むひとときを積み重ねて来られたことに感謝しかありません。
また、この間、「札幌スイーツ&カフェ専門学校」の非常勤講師を2年間勤めました。
何とか実りあるものにしようと試行錯誤しながらの授業は大変貴重な経験です。可愛くてうるさい大好きな学生さん達と共にわたしも学ぶことが出来ました。
33-36歳
結婚し、美瑛へ帰郷しました。そして新たなビジョンである、カフェ開業を決心しました。
お菓子を楽しむ小さな喫茶店を設け、地元の方々や旅の方々をお迎えし、休日はお菓子教室。自分らしく働き暮らすことで、愛すべき地元の活性化にわずかでも貢献出来るのなら、なんて幸せなことでしょう。
越して来て間もない頃より、旭川市「C&Cあさひかわ」さんのお菓子教室講師を担当しました。
この春、10年間続いた先のお菓子教室が惜しまれながら終了となり、タイミングを合わせたように自店の計画も大きく動き出しました。
コロナウイルスの流行により、例年観光客で賑わう美瑛のまちは今年、ひっそりと静かに、だけど変わらずに美しくここにあります。
1歩1歩足元を固めるように、確かなスタートを切りたいと思います。そして、カフェトリコのオープンが小さな明るいニュースになることを願っています。
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